福祉に対する想い

6年前、自分を変えた出会いについてもう少しだけ書かせて欲しい。


「自分の子供を残しては死ねない。」


ある障害者の親御さんが放った一言は、当時の自分の胸に深々と突き刺さった。

これは別に障害に限った話じゃない。

日本という国がすっかり衰退してしまい、

全盛期だった頃には一般人として扱われていた人たちでさえ、

今では数え切れない社会的弱者の一人となってしまっている。

しかし、そんな人たちにも親はいる。

みんながみんなそうとは言えないかもしれないけれど、

愛情があるからこそ、生涯逃れられない親の苦悩というものがある。

それが、そのとき初めてしっかりと認識できた世界だった。


それなのに、自分は目先の商品の原価や利益のことばかりを考え、

取引が守られるかどうか、信用できるかどうかばかりを気にする日々。

その延長線上では結果として、世の中の全てに貢献しているという論理は働いているけれど…。

目の前の出来事を無視してばかりじゃ、いずれ心がついていけなくなることを知った。


そして、理屈で説明する必要のない絶対的な価値が、そこにあることにも気づいた。

それは、いくら勉強してもいまいちピンとこないミッション(使命)と呼ばれるもの、

そして、いくら設定してもいまいちシックリこない目標と期限。


すなわち、その親が「わが子を残して安心して死ねる環境が整うこと」が目標。

そして、その親の寿命こそ、この戦いの期限。


これが実現することの価値に疑いはなかった。

しかし、どれだけお金になるのか分からない。

仕事として成立するかも分からない。

そういう状況の中で定めた新しいルールが、

「その価値を換金することこそ、マネジメントの役割・責任」

という考え方だった。


もちろん、毎日、世界のどこかで当事者家族の寿命は尽きる。

そういう意味で、この戦いは毎日が惨敗。

けれども、目の前の出来事と向き合うようになったことで、

心はガンガンついていけるようになった。

生涯、負け戦を続けるつもりもないけれど。


だからこそ、ライバルは政府関係や医療福祉関係も含めた他の支援組織。

当事者や当事者家族が失望や絶望を繰り返すのは、

彼らのヴィジョンが酷く重厚長大だからだと思う。

それは、この戦いの目標や期限に合わない。

だからこそ、ここ6年で実行してきた具体的な戦略を説明しておきたい。


平成24年に横浜国立大学教育人間科学部・横浜国立大学教育文化ホールにて開かれた日本発達障害学会にて、

発達障害者を見極める手段として社会適応基準が検討されつつあることを知った。

しかし、我が国の経済は、十数年による景気の低迷により「小さな政府」政策が進行している。

それゆえ、厳しい社会になりつつあるなかで、この基準は多くの足きりを生み出すと考えた。

そこで、「この基準に合わなければ障害者として見なす」という状況を防ぐために考案したのが、

新しい社会、はるかに優しい社会を創出し、その基準をもって社会適応基準を活用するという方法だった。


具体的には、彼らの存在を従来の社会よりも高く評価し、

その対価として与えた独自の通貨は、彼らに従来の社会と同等の「衣・食・住」を提供できる必要がある。

だからこそ、この三要素に優先順位をつけようと思ったとき、

価格崩壊が進む「衣」に比べ、まだまだ経済的負担の大きい「食」と「住」。

その中でも、事業的なハードルが低い「食」の充実から、6年前、事業として取り掛かることにした。

それと同時に、「住」の事業化に向けた準備も開始。

その成果となって表れたのが今回の離島民宿事業だった。


ホールディングス体制を志向するようになっていったのも、

株こそ独自の通貨としてふさわしいという結論に至ったからであり、

だからこそ、1株1000円を目標とする低価格化を志向している。

そして、株を分割し過ぎれば、情報処理が膨大となることは最初から予測されていたからこそ、

最初から自社システムの開発は計画されていた…という背景がある。