資本主義の改良

 資本主義の大前提は、競争であり、勝者と敗者があり、公平なルールのもと、不公平な結果を受け入れさせることにある。

 そして、そのゲームにおいては強者と弱者も定着していくようになる。

 勝者は与えられたリソースで次のゲームも勝てるように手を打っていくだろうし、敗者はそうしたくてもリソースがないため、またしても不利なゲームに挑まなくてはならなくなる。

 弱者が個人レベルや企業レベルのうちは、それも通用するかもしれない。

 しかし、国家レベルになれば、そういうわけにもいかなくなる。

 負け続けた者、これから先も負け続ける者にとって、ゲームやルール自体を破壊するしか勝者になる術がないとなったら、国民のためにもそうしたくなるのかもしれない。

 ましてや、コロナという世界的な災難が降りかかり、さらなる要求を突き付けられれば、忍耐も限界を迎えるだろう。

 それが今の国際情勢の本質だと思っている。

 例え、ロシアとウクライナの問題が片付いたとしても、中国は台湾を治めたいし、北朝鮮は軍事国家であり続ける。

 オレの小さな世界観ではその程度の想像でしかないが、日本からはるか離れた国々の中にも、そういう方針を取りたい国は少なくないはずだ。

 資本主義が間違っているとは思わない。

 しかし、全く改良が足りていないと思う。

 ゲームやルールを破壊すること以上のメリットが感じられなければ、こういった国はなくならない。

 例えば、敗者復活戦のような仕組みがあってもいい。

 勝ち上がるリソースをある程度節約し、一発逆転が狙えるからだ。

 しかも、そのような考え方が、個人、企業、国家レベルで浸透していく必要がある。

 まぁ、それは例えばの話だとして、有効な具体策がないままでは、いくら民主主義、平和主義、人権などを唱えても無駄だということを、近年は思い知らされている。


2022年10月16日22時すぎ