己の道の見つけ方

 半年ぐらい前に見つけた考えだが、40歳を超えた人生経験から見えてきたことがある。

 それは己の道の捉え方だ。


 どうやら、己の道というものはバランスゲームの連続だ。

 しかし、シーソーとは違う。

 一枚の板の重心を一本の針が支えている。

 その上に自分が立っているイメージだ。


 立ち位置次第で、その板はバランスを崩す。

 最初から板の形は分かっておらず、重心も分からない。

 そして、この板と針は、上昇し続けるエレベーターの中にある。


 あっちへふらふら、こっちへふらふらしながらも、自分が立っていた位置は垂直方向に記録されていく。

 イビツな形をした螺旋を描くだろう。

 それが自分の道だ。


 とらなければならないバランスは無数にある。

 あまりにも多すぎて、全方位と言っていいぐらいに。

 しかし、板から落ちることなくバランスを取り続ければ、いつかは重心の位置に気づくだろう。


 いや、問題はそう単純でもないかもしれない。

 もしかすると、板の形はリアルタイムで変わり、重心もその度に変わり続けるのかもしれない。


 とにかく、己の道は「こうすれば、こうなり、さらにこうすれば、以上が自分の道」というようなロジカルなものではない。

 それは若い頃のオレが信じ、間違った結果をたくさん生み出してきた要因だった。

「なんか良い感じ。」

 そう感じ取れるなら、その状態が束の間に捉えた重心なのだろう。

 しかし、重心をとれていなくても、重心を捉え続けようとする日々。

 それが己の道ということだ。


2023年1月25日午前8時半