どこからが真の戦いなのか

平気で喧嘩を売る人が、「戦いが好きだから」とカッコをつける。 本当にそうだろうか? その人に「勝てる」という自信があるのなら、それは戦いではなく「弱いものイジメ」だ。 「証明する」と言うかもしれない。 しかし、本当に自信があるのなら、その必要はないはずだ。 相手が「証明しろ」と言うのかもしれない。 しかし、その相手もまた、「自分の方が強いから」という前提のもと、反論している。 ならば、そこにいるのは、弱い者イジメが好きな二人の人間でしかない。 戦いとは、「勝てない」という意識の中で、なんとか結果を覆していこうとする努力だ。 そして、そういう状況を真に好む戦士が、実際のところ、どれぐらいいるのだろう? 上記に従って理論的に考えれば、「弱者にこそ割合は増えていく」ということが分かるはずだ。 真の戦いとは、弱者のためのものなのだ。 その努力が、いつの間にか自らを強者に鍛え上げていくのだろう。 そして、そうなったとき、忘れてはならない初心となっていくのだ。

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理想の経営など語れようがない

 人よりは理論と実戦のバランスをとりながら、起業や経営の分野を研究してきた自負がある。  だからこそ強調したい。  現代の経営学では、まだまだ理想の経営など語れようがないということを。  なぜなら、現代の経営学はたくさんのツールというか、パーツを用意しているが、それらの組み合わせによってどれだけのパターンがあるかを十分に議論できていないからだ。  その結果、いくら理論や実戦を積み上げても、未だに見たことのないスタイルで結果を出している経営者と出くわす。  オレが率いているロックカンパニーグループも、なぜ10年近く続き、飲食店も9年以上潰さないまま、IT関連の特許を取得し、エンジェルから出資を受けることができ、会社を増やせているのか、ほとんどの学者には理解しきれないだろう。  しかし、それは学問の重要性を嘲笑することには繋がらない。  もう一つ言えることは、現代の経営学があまりにも未熟だということだ。  そして、「この方法でいいだろう」と考えている成長方法もまた、話にならないほど稚拙だということだ。  しかし、そこにまた、希望もあるのかもしれない。  そういう混沌さの中にしか、ライバルに打ち克つチャンスや方法は存在しないからだ。  それゆえ、新人の起業家や経営者は、「守破離」のタイミングに悩み、戸惑いながら、青臭い成長をしていくしかないのだろう。  そいつらは多くの人を巻き込み、迷惑をかけまくる存在だ。  正直、オレも関わりたくはない。  しかし、そういう距離感を保ちなが…

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人間が平等なわけないじゃないか。

「人間誰もが平等」というような言葉を良く耳にする。 間違ってはいないだろう。 しかし、そこに階層は存在しないのか? 答えは「NO」だと思う。 オレたちは、互いの努力に敬意を払った方が良い関係を築けるものだ。 だからこそ、その努力の差にかなりの開きがある場合、尊敬の念が生まれ、師弟関係も生まれていく。 年長年少だろうが、先輩後輩だろうが、上司部下だろうが、理想の上下関係に変えていくのは敬意であり、形式ではない。 しかし、その一方で、オレたちは無意識のうちに階層を生み出し、それを必要とし続けている。 「格」という概念を意識し、格上・格下・同格を無意識のうちに判断している。 格下の人間が勝手に、同格を気取っているとストレスを感じるし、格上を気取っているとそのストレスは倍増する。 だから、そういうストレスを感じているみなさんの気持ちを、オレに代弁させて欲しい。 「人間が平等なわけないじゃないか。  テメーは格下なんだよ。  出直してこい。」 オレも正直、こう感じさせられることは少なくない。 だからこそ、人間関係は厳選させてもらっている。 やっぱり、努力家と一緒に過ごす時間は心底楽しめるからだ。

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