「世の中はカネ」という論理③

 オレの主張で誤解して欲しくない部分がある。 「だから、カネがなくても良いとはならない」ということだ。  そもそもこれまでの内容を読み取って、そうなりうるだろうか?  「カネが入ってもすぐに使う」ということを除いて、「カネがない」ということは「どのように稼ぐかを知らない」ということだ。  そういう人は、上品か下品を論じる以前の問題、もっと言えば、そう論じられる立場になった人よりも、低い立場の人ということだ。  最後に、稼ぎ方の品格とはどこにあるだろうか?  稼ぎ方は2つに大別できる。製品とサービス(役務)だ。  しかし、いずれにせよ、劣悪な製品、劣悪なサービスで利益をあげている者に対して、「上品」という言葉が当てはまるだろうか?  オレはそう思えない。  とりわけ、サービスについて言えば、大したサービスも提供していないのに、「居てあげるだけでも、会ってあげるだけでも、立派なサービスだ」と言ってしまう人間がいる。  確かにそうだ。しかし、もっとしてあげられることはないのか?自分の胸に訊いてみて欲しい。  逆に、ぱっと見、「居てあげてるだけ、会ってあげてるだけ」と言っている人間も、たくさんの気配りと他人には見えにくい努力をしてあげている人間もいる。  もしも、それができているのであれば、どんな立場であれ、その人は「上品」と言えるはずだ。

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「世の中はカネ」という論理②

 結論から言おう。  「カネを持っているかどうか」より、「カネをどのように稼ぎ、どのように使っているか」の方がよっぽど大切なのだ。  そこに、人間としての気品はあるからだ。  手持ちのカネは少なくても上品な人がいる。  どんなにカネを持っていても下品な人がいる。  カネの稼ぎ方が下品な人ほど、無理して上品ぶった使い方をしようとする。  上品な稼ぎ方をしている人が、日常的に下品な使い方をしたりするのかどうかは、良く分からないが…。  理論的に考えてみれば、「稼ぐ」という行為は、利益をあげるために売上を伸ばす一方で、それに伴う仕入れを少なからず行っている。  すなわち、使い方が下手な人にとっては、「稼ぐ」という行為すら困難なのだ。  それゆえ、上品な稼ぎ方ができる人に、下品な使い方をする人はあまり含まれないのではないか、とも思う。  またまた、話がズレてしまったようだ。  次回で最後にしようと思う。

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「世の中はカネ」という論理①

 「カネが全てじゃ!」というつもりはない。  しかし、このような話題を哲学的に考える前に、仕組み的なものを考えた方がいい。  オレたちは資本主義社会に生まれ、生きている。  まず、このルールを否定するのであれば、資本主義社会で生きるべきではない。  逆に、そこで生きているのであれば、そのような主張に説得力はない。  そもそも、カネを否定するようでは資本主義以前の問題かもしれない。  カネのない文明社会があるのだろうか?  カネを否定するつもりなら、物々交換が成り立っている社会を探し出し、移り住むべきだろう。  とはいえ、今回はこのような話題を主目的にしているわけでもない。  「そろそろ、カネとの向き合い方を定めたい」と考えている方にのみ、次のページに進んで頂きたい。

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