絶対的に平等な世界で不平等を感じる原因

「なんだかんだ言ったって、世の中平等にできているものよ。」 と、誰かが言うたび、オレたちは違和感を覚える。  しかし、その違和感をうまく説明できずストレスだけが募る。  ハッキリ言おう。 「確かに世の中は平等だろう。しかし、オレたちの境遇は決して平等ではない。」 と。  大半が完全に見落としている。  それは、脈々と受け継がれてきたオレたちの祖先の努力の結果は、絶対的な生存競争の繰り返しで、時に負けたり、時に勝ったりしながら、オレたちに受け継がれてきたということだ。  それゆえ、生まれもっての境遇が全員異なるのであり、オレたちにとっては平等から程遠いスタートラインとなっている。  美貌も、健康状態や運動神経も、経済力も、先天的に与えられたものは全て平等であるわけがない。  しかし、これも言える。  オレたちの大半には、多かれ少なかれ反抗心が備わっており、その反抗心は他人との出会いによって得られる影響から、膨らんでいく可能性も秘めているということだ。  「反抗心がなければ、大体こういう人生だったろう」という読みを、人は「運命」と呼びがちだが、他人との出会いから運命に抗う生き方を始められる人もいる。  確かに生まれ育った環境によっては、そういう出会いのないまま短い一生を終える人もいるだろう。  しかし、この記事を読んだあなたは少なくとも、そこで終わらないチャンスを一回は得たことになる。  オレは反抗心の塊、もはや反骨心の塊と言っても良い存在だからだ。  それゆえ、オレた…

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人を助けた先に待っているもの④

オレは冷めきった男だ。 どうやってそうなってしまったのかは、もう書く必要もないだろう。 しかし、何かに懲りることなく、自分にしかできない救いを追及し続けている。 冷淡に、冷血に、冷徹に、冷酷に。 オレはオレにしか救えないものを探し求めている。 この力が微々たるものでも、疲れ果てていた人に笑顔が戻る瞬間、そこに価値を覚えてきたからだ。 犠牲となった善意から新たな真理を見出し、その善意を卒業し続けてきた。 だからこその今だ。 掴み取る栄光は大きい。 しかし、そこに至るまでの犠牲はもっと大きい。

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人を助けた先に待っているもの③

どちらを選んでもいい。 過去には人を助けたが、これからは助けないという人生もいい。 しかし、同じではない。同じではないのだ。 例えば、席を譲るという行為。 素直に善意を受け取る人は、少ない世の中になってきた。 譲ろうとした人に厳しい言葉をかけられてしまった人もいるだろう。 次に譲ろうとするとき、少しためらうはずだ。 譲らなくなってしまうのかもしれない。 オレはそれでいいと思う。 実際に譲ろうとして傷つけられた過去があるのなら。 この先は一切譲らなくていいと思う。 そして、祈ればいいと思う。 そういう経験を持たない他の誰かが、困っている人を助けてくれることを。

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