絶対的に平等な世界で不平等を感じる原因
「なんだかんだ言ったって、世の中平等にできているものよ。」
と、誰かが言うたび、オレたちは違和感を覚える。
しかし、その違和感をうまく説明できずストレスだけが募る。
ハッキリ言おう。
「確かに世の中は平等だろう。しかし、オレたちの境遇は決して平等ではない。」
と。
大半が完全に見落としている。
それは、脈々と受け継がれてきたオレたちの祖先の努力の結果は、絶対的な生存競争の繰り返しで、時に負けたり、時に勝ったりしながら、オレたちに受け継がれてきたということだ。
それゆえ、生まれもっての境遇が全員異なるのであり、オレたちにとっては平等から程遠いスタートラインとなっている。
美貌も、健康状態や運動神経も、経済力も、先天的に与えられたものは全て平等であるわけがない。
しかし、これも言える。
オレたちの大半には、多かれ少なかれ反抗心が備わっており、その反抗心は他人との出会いによって得られる影響から、膨らんでいく可能性も秘めているということだ。
「反抗心がなければ、大体こういう人生だったろう」という読みを、人は「運命」と呼びがちだが、他人との出会いから運命に抗う生き方を始められる人もいる。
確かに生まれ育った環境によっては、そういう出会いのないまま短い一生を終える人もいるだろう。
しかし、この記事を読んだあなたは少なくとも、そこで終わらないチャンスを一回は得たことになる。
オレは反抗心の塊、もはや反骨心の塊と言っても良い存在だからだ。
それゆえ、オレた…